夫の死をきっかけにキリストを信じたAさんの証
Aさんは、まだ30代の時にご主人を癌で失いました。深い悲しみの中、Aさんは僧侶を招いて葬儀を行いました。葬儀の後は、愛する夫が極楽(仏教で言う天国のような場所)に行って喜んでくれていると思い、毎日、朝と晩に仏壇の前で線香をたいて拝み、ご主人の好物だった菓子や食べ物を供えました。また残された自分と子どもたちが頑張っている様子を見て、ご主人が喜んでくれているに違いないと思っていました。
ご主人を亡くして一年たった8月の初盆と命日には、僧侶を呼んで経をあげてもらい、何もかも無事にすませたつもりでした。ところが、高校時代の同級生を通して聖書の話を聞く機会がありました。それは、それまでのAさんの考えをすべてひっくり返すような内容でした。これは本当の話であるとわかりましたので、同級生の紹介で牧師に来てもらいもっと聖書の話を聞くことにしました。
聖書には以下のことが記されていました。
①天地を創造された本当の神様がおられること
②本当の神様は唯一であること
③人聞が作った神は偶像であり、神ではないこと
④人聞は進化の産物でなく、神様によって造られたこと
⑤神様の前ではすべての人が罪人であり、死後に永遠の地獄でさばかれること
⑥神のひとり子であるイエス・キリストが、私たちを救うためにこの世に来られ、私たちの罪を背負って十字架で死なれたこと。そして死後三日目に復活されたこと
⑦だれでもイエス・キリストを信じるなら、罪がゆるされて天国へ入れていただけること
本当の神様が大切なひとり子を犠牲にして救いを完成してくださり、行いやお金などを要求せず、信じる者を恵みで天国へ入れてくださるとは、すばらしい救いです。しかしこれが事実ならイエス・キリストを信じていなかったご主人はどうなるのでしょう。
Aさん「私の主人は地獄に落ちているのですか… ?J
牧師「…(大変答えづらそうに)…はっきりと言った方が良いので申し上げましょう。もしご主人が本当の神様を信じていなかったとしたら地獄です。」
Aさん「私たち生きている者が神様に、主人が天国に入れるようにと祈っても駄目ですか?J
牧師「信仰は個人の問題ですから、私たちがいくら祈っても駄目なのです。だからご主人の願いは、『愛する妻と子どもたちにはこんな恐ろしい場所には来てほしくない。自分だけでたくさんだから絶対来させないでくれ』…そう言っておられるのです。もし家族まで地獄へ来てしまったら、「なぜこんなところに来たのか、信じる機会があったのになぜ信じなかったのか』と言われるでしょう。亡くなった人の願いは、生きている者が本当の神様を信じて天国へ行ってくれることです。そうすることが何よりも一番の先祖供養です。」
これを聞いたAさんは悲しみの涙が止まりませんでしたが、牧師が人のご機嫌取りや金儲けのために話をしているのではなく、ただ真実を伝えようとしていることがわかりました。それで続けて聖書の話を聞き、自分の罪深さと、地獄へ落ちて当然の者を救ってくださる神様の愛がわかった時、イエス・キリス卜を唯一の救い主として信じました。
「神は、実に、そのひとり子をお与えになったほどに世を愛された。それは御子を信じる者が、一人として滅びることなく、永遠のいのちを持つためである。(聖書:ヨハネの福音書3章16節)
これまで拝んできた仏壇や位牌も人聞が木片を細工した物にすぎず、ご主人も望まないとわかり処分しようと思いましたが、最初は世間の目を恐れました。しかし、まずご主人の実家へ、次に寺に行ってイエス・キリス卜を信じたことを伝えたところ、思いのほかあっさりと処分できました。
ご主人の死は大変悲しい出来事でしたが、それは人の死について真剣に考える機会となりました。そして今は真実を知り、Aさんもお子さんたちもイエス・キリストを信じて、永遠の天国に入れることを神様に感謝しています。また他の方が、自分のように後から真実を知り、悲しむようなことがないように願っています。
後日、Aさんのようにご主人を失った方が、僧侶に盆の行事の意味を尋ねたそうです。すると僧侶は「盆の問、地獄の釜が開いてご主人たちも帰ってこられますから、お迎えして供養するのですよ」と答えたそうです。夫が極楽に行けるようにと戒名を準備し、葬式をあげても、結局は地獄に行っていたということです。しかも、その答えに驚いて「……主人はどこから帰ってくるのですか?Jと尋ねると、僧侶は「次の用事があったのを思い出しました」と言って、答えもせずに帰ってしまったそうです。
身近な人の死を通して死に向き合い、混乱と失望を経験する方が多いのだと考えさせられることでした。
ぜひあなたも一日も早く真実を知ってください。悲しみを感謝に、混乱と失望を希望に変えることのできるイエス・キリストを信じてください。