死に打ち勝った人生

「死は勝利に吞み込まれた。」
「死よ、おまえの勝利はどこにあるのか。
死よ、おまえのとげはどこにあるのか。」

新約聖書 コリント人への手紙第一 15章54、55節

「こんな顔でごめんね。」それがお見舞いに来た人たちに語るいつもの言葉でした。神奈川県在住の小野さん(76歳仮名)は、がんになって以来、笑顔を見せることができなくなっていました。病状は日に日に悪化し、心は死への恐怖と不安でいっぱいでした。小野さんは末期のがん患者として、病院の緩和ケア病棟、いわゆるホスピスに入院しました。

ところが同じ病棟に、他の患者たちとは全く違う雰囲気を漂わせている一人のがん患者がいました。右田さん(74歳仮名)というその婦人は、やはり末期のがんで、緩和ケア病棟に入院していました。他の人より元気であるわけではなく、病と闘いながら、病状が悪化していき、つらく苦しいのは変わりありませんが、右田さんは安らかで落ち着いており笑顔であったのです。

ある日、小野さんは右田さんに尋ねました。「あなたはどうしてそんなに安らかなの?」右田さんは答えて言いました。「私はクリスチャンなんです。もしものことがあっても、天国に行けるという希望があるんですよ。」右田さんの病室には、彼女の通っていた教会の牧師が訪問し、聖書から励ましの言葉を語っていました。「あなたも一度聖書の話を聞いてみませんか?」右田さんにそう言われて、小野さんは関心を持ち、話を聞いてみることにしました。

病院を訪れた牧師は、聖書から話し始めました。私たち人間にいのちを与え、生かしておられる神様がご存在されること。死は人生の終わりではなく、死の向こうに天国と地獄があること。罪ある私たち人間は、このままでは天国に入ることができず、罪の刑罰を地獄で受けなければならないこと。しかし神様は人間を愛してくださり、救い主イエス・キリストをこの世界に送ってくださったこと。キリストが私たちの罪のために、身代わりとなって死んでくださり、葬られた後、死に勝利して復活されたので、だれでも自分の罪を認め、キリストを信じるなら、罪がゆるされ、天国に入れていただけることを、小野さんは聞いたのです。

聖書の話を何度か聞くうちに、小野さんはイエス・キリストを、自分の罪のために死んでくださり、三日目に復活された神また救い主と信じました。すると彼女の心は罪をゆるされた喜びと、天国に行くことができるという希望や神様の大きな愛で満たされたのです!

がんになって以来、一度も笑ったことのなかった彼女が、笑顔に変わりました。キリストを信じた小野さんはその一ヶ月後にクリスチャンとして喜びと平安のうちに天に召されました。

さて、聖書はこう語っています。

「人間には、一度死ぬことと死後にさばきを受けることが定まっている」

(新約聖書 へブル人への手紙 9章27節)

私たちは生まれてきた以上、いつか必ず死を迎えなければなりません。そして、罪を憎んでおられる正しい神の前に立たなければなりません。神によって生かされ、神から多くの良いものを与えられてきたにもかかわらず、その神を無視し、人間の手で作った偽りの神々に、自分勝手な欲望を願い求めることは、最も大きな罪なのです。その罪の刑罰は永遠の地獄において、受けなければなりません。 私たちに必要なのは、創造主である神を認めないで生きてきたこれまでの人生が、間違いであったことを認め、悔い改めて、キリストを信じて罪のゆるしを得ることです。人間の考え出したた様々な宗教は、これを拝めば病気も治るなどと言いますが、たとえ病気が治ったところで、死が少々先延ばしにされただけのことであり、死の解決にはなりません。しかも、病気が治りたければもっと金を出せというような教えは、金目当ての宗教ビジネスに過ぎません。

本当の神様は、あなたを愛しておられます。あなたの罪をゆるして、神様のこどもにし、神様とともに天国でいつまでも生きる人にしたいと願っておられるのです。あなたに必要なことは、イエス・キリストをあなたの神、また救い主と信じる信仰です。

どうか、神様の救い、永遠のいのちを無償で受け取る方となってください。

聖書はこう語っています。

「御子(イエス・キリスト)を信じる者は永遠のいのちを持っているが、御子に聞き従わない者はいのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。」

(新約聖書 ヨハネの福音書 3章36節)